トップ > 国産最高血統・超阿古 #2
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 上田・服部系“超阿古谷”血統について(前編)

1. はじめに

皆さん、初めまして。私はクワガタのおうち屋さん(以後「おうち屋さん」と略)のホームページ(HP)およびリンク先の装甲蟲会掲示板で「愛知のH氏」として登場している服部滋樹と申します。
愛知のU氏と紹介されている友人の上田 亨氏と3年ほど前から超阿古谷血統を飼育してきましたが、この度おうち屋さんのHPに掲載されている、私たちが作出した個体群の物語について一筆したためる機会が与えられました。今までは画像のみだったのでこれら個体群について何らかの紹介やコメントができる機会をいただけたことを喜んでいます。またおうち屋さん店主の橘氏には感謝しております。

けれども、当初橘氏から執筆を勧められた時は若干躊躇していました。なぜなら、この上田・服部系超阿古谷血統の経緯については、すでに上田氏が「KUWATA」第13号(2002年7月)中の「驚きの国産オオクワガタ82ミリ作出レポート Part2」で報告済みであり、また我々の超阿古谷血統との出会いの一部は「ルカヌスワールド」第29号(2001年12月)で、尊敬する友人である後藤英治氏執筆&写真による「良血統への誘い〜阿古谷編PART2〜」で紹介されているからです。

必要なことはお二方によって十分語られていると思いましたが、おうち屋さんHPで命名されている各血統の名称(A〜C血統)と、超阿古谷血統のオリジナル作出者であられるブリーダーM氏が命名された名称(A〜E血統)との間での対応関係が他の超阿古谷作出者の方々や愛好家の方々の間で誤解を招いているかもしれないとの危惧を感じました。また上記の上田氏による報文での各血統名称と、おうち屋さんHPでのそれとの対応関係についても確かに外部からは分かりづらいものでしょう。以上のことを鑑み、すでに雑誌等に掲載された文章と内容的にはかなり重複する部分があることは承知の上で、上田・服部系の超阿古谷血統の経緯や血統名称の対応関係について改めて私なりに整理してみようと考えた次第です。

2. 上田氏との出会い

上田・服部系超阿古谷血統は二人の友情の賜物です。ですからこの血統を語る上で上田氏との出会いを語らない訳には行きません。クワガタを通して知り合った私たちですが今ではクワガタを超えたところで付き合いと友情が続いるのです。

上田氏との出会いは今から約4年前、1999年の3月に遡ります。当時、某有名老舗掲示板で書き込みを楽しんでいた愛知県名古屋市近辺在住のクワ馬鹿たちに上田氏がメールを出してオフ会の開催を呼びかけたのが始まりでした。市内の地下鉄一社駅そばの居酒屋に6人が集まりました。その時のメンバーには上田氏や私の他、クワガタ雑誌等で著名なネブトクワガタの達人A氏や超阿古谷を語る上では抜きにできない愛知県豊田市のショップ店主K氏(通称「塾長K氏」)、そして一般愛好家の二人がいました。第二回目のオフ会にはA氏と同様雑誌等で著名な国産オオクワガタ飼育名人のK氏なども参加しています(このオフ会でK氏が持参された佐賀産79.4ミリのド迫力に私を含めその場の者たちが国産オオクワに開眼したと言っても過言ではないでしょう。この個体はその後雑誌やコンテストで有名になりました)。

このオフ会はその後続々メンバーが増え、やがて「愛知クワカブ愛好会(AKWA)」という名で知られる愛好会に発展して行きました。紆余曲折、様々な事情があって私や上田氏はその後この会を出ましたが(脱会後は上記の後藤英治氏が会長を務められました)、上記設立メンバーの内ショップ店主のK氏(塾長K氏)とは私も上田氏も親交が続きました。愛好会を何とか盛り上げようとずっこけながらも共に頑張ってきた二人という共感というか自負もあり、会を出た後は今まで以上の友情に発展して行った次第です。お互いちょくちょく会ってはクワガタ飼育の情報を交換したり、お互いの家族や観た映画のことまた人生観などについても話し合うようになっていました。愛好会脱会前後に調整役として様々お骨折りいただいた後藤氏とのお付き合いも続いていました。氏が「ルカヌスワールド」第28号(2001年10月)で「良血統への誘い〜国産オオクワガタ〜-阿古谷編-」で紹介されている「AKO」も当時3人で一緒に幼虫を関西のショップさんから購入したものです。(「AKO」については後述します)このように、超阿古谷血統との出会いは上田氏や塾長K氏、また後藤氏らとの出会いと友情に触れなければ語れるものではないのです。

3. 「超阿古谷」血統との出会い

そろそろ本題です。私の中ではこの辺の時系列がやや曖昧だったので、先日上田氏と会ってお互いの記憶を整理しました。その少し前には後藤氏ともお会いして当時のことをまた別の視点から思い出しました。

上記オフ会で豊田市のショップ店主・塾長K氏と出会ってから、私は氏のショップに頻繁に出入りするようになっていました。多い時は週に3日くらい自宅の名古屋から豊田市に通っていたでしょうか。氏とはお店で話し込むだけでなく、一緒に岐阜県の方までクワガタ採集にも行ったりしていました(「KUWATA」第5号(1999年11月)の p.20〜を参照。「H氏」とは私のことです)。とにかく当時はK氏のショップに<入り浸っていた>という感じです(熱かったなぁ、あの頃は・・(^^;;) もちろん上田氏もちょくちょくK氏のショップに出入りしていました。上田氏も当時はオオクワ採集に熱かったですね。彼は「KUWATA」第7号(2000年7月)で「木曽川オオクワ採集記」という文章を寄せています(因みに、そこに登場する「H氏」も私です)。

2000年の春頃だったと記憶していますが、K氏のショップであるブリーダーの方と出会いました。実はこの方が後に超阿古谷血統オリジナル作出者として関係者にはその名が知れ渡るM氏だったのです。実におおらかかつ気さくないい方で、塾長K氏を交え夜を明かしてクワガタを語り合ったこともしばしばですし、愛知県蒲郡市や三好町に一緒にクワガタ採集に行ったこともありました。このM氏からある日、ご自宅で羽化してきている極太揃いのすごい血統がいるという話を伺いました。何でも入手した71ミリの阿古谷産(F1)と兄姉血統の♀を掛けたら目を見張るような極太・がっちり個体が続々誕生しているとのことでした。それも兄弟皆粒ぞろいの極太血統らしいのです。

実は私は当初あまりこの話を真面目に聴いていませんでした。無知だったのか、当時は「血統」という概念を真面目に考えていなかったのです。国産オオクワガタは飼育していたものの、兄弟間でそのサイズや形状はバラツキがあるのは当たり前であり、皆極太で羽化してくる、つまりハズレのない血統など存在しないと信じ切っていたのです。第一、その時点では種親も羽化してきたその子どもたちもまだこの目で見ていませんでした。M氏からのお話はしばらく私の中では<おとぎ話>でありました。

ところがその後、2000年の7月or 8月と記憶していますが、K氏のショップに行った際(あいにくM氏は来ていませんでしたが)、K氏がM氏の置いていかれた阿古谷産F1の♂種親を私に見せてくれたのです。もちろん「生き虫」でした。その個体を見て私はびっくりしてしまいました。その後この個体を見る機会を得た上田氏はその印象を「KUWATA」13号の報文で「・・その♂親の大きさは70ミリそこそこであった。決して美しい虫ではなく、ゴツゴツとした感じで、丸太棒のようなおおあごが不自然に付いていたと記憶している。」(pp.33〜34)と描写しています。<丸太棒のようなおおあご>、これが私も感じた率直な印象でした。

その個体はその後標本となって上記「ルカヌスワールド」29号の後藤氏による報文(p.15)にその画像が掲載されています。全くの独断かつ私見ですが、その画像からは生きていた時の迫力が十分には伝わってきません。(これは後藤氏の撮影技術云々を言っているのではなく、肉眼による3次元の迫力はどうしても2次元の画像では表現し切れないことによります。また生き虫と標本の違いもあります)確かにこの♂個体は今まで出会った国産オオクワにはおよそ感じられなかった特別のオーラを発していました。私はしばらくまじまじとこの♂個体を眺めていました。そしてこの日がまさに超阿古谷血統との衝撃的な出会いだったのです。その後、この♂個体の子どもたちが日の目を見るようになるにつれ、我々の間で誰からともなく(でも恐らく塾長K氏かM氏が発祥だと思うのですが)この血統を「超」阿古谷、極太が多いと言われる阿古谷産の中でも更に他を凌駕する極太良血統という畏敬の念を込めて「超阿古谷」と呼ぶようになったのです。

4. 「超阿古谷」血統の入手(1)

衝撃的な出会いのしばらく後、私はこの時の経験を後藤氏に話しました。また別ルートで氏はこの血統の噂を耳にされていたようです。この頃の氏の感想とその後の後悔?は「ルカヌスワールド」29号に記されているとおりです。この血統の入手について後藤氏はしばらく静観の構えだったと記憶しています。2000年の10月のある日、上田氏と後藤氏そして私(他に何人かがその場にいた)はK氏のショップにいました。その時、例の♂個体はいませんでした。この日に至るまでの期間に♂個体の子どもたちを見る機会を得ていた上田氏はこの血統の虜になっていました。その日上田氏の促しに応え、店主の塾長K氏が1.5L菌糸ビンに入った♂親の子ども、F2の3令幼虫を勧めてくれました。ビンに貼ってあったラベルのデータによると、「2000年4月初令投入、同年10月26g」という履歴の幼虫でした。M氏が作出された血統にはどうやらA〜Eの各血統が存在するらしく、上田氏はM氏からA血統が一番大きくなったという話を伺っていたので、A血統の幼虫を所望しました。塾長K氏が勧めた26gの3令幼虫はそのA血統だったのです。

その場の雰囲気を思い出すと、今まで幾度か幼虫買いで失望を経験していた上田氏を後藤氏は「また病気が始まった・・(苦笑)」と冷ややかに見ておられたようでした。私もかつてそうであったように、兄弟で良形の個体がいても、他の兄弟たちにも同じように発現する保証はないからです。親の形状の発現が比較的遺伝し易い国産オオクワガタでも、兄弟間のバラツキにがっかりした経験のある愛好家諸氏は多いのではないでしょうか。後藤氏の忠告もそんな意味合いが込められていたのだと思います。上田氏もずいぶん迷ったようでした。けれども、この幼虫の親虫、つまりF1の♂個体をしっかり見ていた私は上田氏に購入を勧めました。そして彼は♂幼虫と同腹兄姉関係の♀幼虫と合わせてペアでこの血統の3令幼虫を入手したのです。上田氏は幼虫のインライン経歴に拘っていました。繰り返しますが、2000年の10月の出来事でした。

後ほど詳しく述べますが、この3令幼虫ペアの内、♀は翌年の初夏に羽化しています。けれども、♂幼虫の方はいつまでたってもいっこうに蛹化する気配がなく、ついに2年目突入の俗に言う<セミ幼虫>と化したのです。そしてようやく翌々年、つまり2002年の5月に丸2年かかって羽化しました。羽化不全(羽パカ)ながら、巨大な頭幅(29ミリ)と野太いあご(基部6.3ミリ)を持った81ミリという超特大サイズで誕生したのです。羽パカは残念でしたが、「これぞ超阿古谷!」と絶賛したくなる堂々たる体躯の持ち主でした。

(以下、中編に続く)